どうも、「発達障害児の親による発達障害児の親のためのサイト」管理人いけともです。
発達障害に限らず、言動が気になる、どうも普通じゃない、他の子と違う……、
そんな子を持つお父さん、お母さんに向けて情報発信をしています。
ここでは自己紹介を兼ねて、私のプロフィールを公開します。
目次
私は、そこそこ優秀(と思われている)子どもでした
私の少年時代には興味が無いと思うので簡単に終わらせますが、3歳上の優秀な姉のせいで、親からも先生からも「良い点を取らないと許されない」そういうプレッシャーを勝手に感じながら過ごしました。
元々すごい面倒くさがりなので普段はあまり勉強しなかったのですが、良い点を取るためにテスト前だけは必死で勉強しました。
それで何とか現役で国立大学に合格し、大学院まで行きました。
24時間365日仕事から離れられない日々
そして東京の会社に就職しSE(システムエンジニア)になるのですが、そこでの仕事は大変でした。
日々の仕事はそれほど忙しいというわけではないのですが、顧客のシステム運用の仕事だったので何か障害が発生すると、24時間365日システムを監視しているオペレータという人からSEコールと称した電話がかかってくるのです。
深夜に電話を受け、そのまま出社して対応することも珍しくありません。
当時半同棲していた彼女が作ってくれたカレーを食べながらサザエさんを見ていたら呼び出され、次の日の夜まで帰れないなんてこともありました。余談ですが、彼女はそれを最後の晩餐にしようとして別れを切りだそうとしていたらしいです。
それが突然呼び出されて帰ってきたのは次の日の夜だったので、とても別れを言い出せなかったそうです。
その彼女は、今は妻になっています。
あの時呼び出されていなかったら彼女と結婚することも無く、発達障害児の長女が産まれることも無く、こんなプロフィールも書いていないかもしれません。
ホントに人生は分からないですね!
田舎で家族とのんびり暮らしたい
話がそれましたが、その彼女と結婚し、子どもが産まれる頃に転職することにしました。
まだ「ワークライフバランス」なんて言葉はありませんでしたが、田舎で家族とのんびり暮らしたいと思ったのです。
小さな会社の小さなシステムを相手に仕事をし、定時で仕事を終わらせると、最寄り駅まで妻と子どもが迎えに来ている。
一緒にゆっくり歩きながら家に帰り、ビールを飲む。
私のささやかな夢が叶ったと思うような時間をしばらく過ごしました。
この子にはどんな将来が待っているのだろうか?
子どもについて、色んなことを考えました。
この子はどんな子どもになるんだろうか?
ちょっと変わってるって思われてもいいから、自分の考えを言えるようになってほしいな。
どこの学校に行くんだろうか?
将来は薬剤師になってくれると安心だな。
結婚相手は絶対飲める奴がいいな。(?)
どこの親でもそうだと思いますが、我が子の色んな将来を思い描いていました。
我が家の長女あおの言葉が出ない・・・
長女が1歳半を過ぎた頃から、しきりに妻が長女の発語が無い事に対する不安を口にするようになりました。
「子どもにはすぐ話すようになるタイプと、言葉をため込むタイプがいる」
「2歳~2歳半は言葉の爆発期」
私はそんなネットでかじったことを妻に話し、大丈夫だと伝えていました。
でも今思い出してみると、「大丈夫だと思い込もうとしていた」のだと思います。
あおは、自閉症?
「あおの言葉が出ない」
「あおは言葉をため込むタイプで、2歳半までにはせきを切ったように話し始めるから大丈夫だ」
そんな話をしていたある日、妻が「でも、もし自閉症だったら・・・」とつぶやきました。
私は、その意味が分かりませんでした。
「自閉症?引きこもり?どういうこと?」
何かそれ以上聞くととんでもない事が起きそうな気がして、私は何も言いませんでした。
そして、「自閉症」という言葉だけが頭に残りました。
あおが取っていた特徴的な行動
次の日私はネットで「自閉症」を調べました。
そして、「自閉症」は心の病気では無くて、発達障害であることを初めて知りました。
そこで見たものは衝撃的でした。
大人になっても片言しか話せない人、子どもの頃うんちを壁に塗りたくった人。
いろいろ調べるうちに、自閉症児の特徴的な行動の一つが目に留まりました。
自閉症児が自分の要求を大人に伝えるとき、その大人の手を取って目的の物へ運ぶという「クレーン現象」をあおもやっていたのです・・・。
その時の事を私は忘れられません。
あの頭をガツンと殴られたような感じ。
頭の中が真っ白になったような感じ。
背中を冷たい汗がつたう感じ。
福本伸行の漫画にある「ぐにゃあ~」って感じ。
私はそれでもぐらぐらしながら、あおが自閉症でない証拠を探そうとしていました。
そして、「指さしがないこと」も自閉症の特徴の一つという文章をみつけ、それをあおが自閉症でない理由と自分に言い聞かせ、妻にもそう話しました。
「クレーン現象」の事は、一言も触れずに・・・。
専門家に言われた「発達が非常に独特」
それからずっと不安の日々を過ごしました。
「朝になれば普通にしゃべるようになっていますように」と願いながら寝たことが何度あったでしょうか?
突然全てが変わる日を夢見ていましたが、当然そんな日は来ませんでした。
しばらくたったある日、市の療育相談を予約して受けた妻から「発達が非常に独特ということを言われた」とメールしてきました。
私は、それが頭から離れなくなり、会社を早退しました。
ショックを受けたというわけでもなく、妻をフォローしようとしたわけでもなく、仕事が全く手に付かなくなってしまったから・・・。
言葉以外にも気になることが・・・
この頃は言葉さえ出れば、他の子と同じになると思っていました。
目つきもおかしくないし、知的障害があるようにも思えない。
言葉さえ出れば、言葉さえ出れば・・・。
でもその願いは次第に打ち砕かれることになります。
言葉以外にも気になる事、具体的に言うとパニックが起こるようになったのです。
色んな事がありました・・・。
公園の芝生の上で、2時間近く泣き喚いた事。
パジャマがいつもと違うということだけで、義母が引くくらい泣き喚いた事。
妻と市のリズム運動遊びの教室に行った時、何も体を動かさず体育館の窓についた鳥のフンを雨粒がつたうのをずっと見てたあおに向かって、講師の先生が「全くキミは・・・」と呟いたこと。
その時妻は心がえぐり取られるくらい傷つきながらも「誰に何も言われてもいい。あたしだけは、この子の味方でいよう」と思ったのです。
あおの発達障害に蝕まれる家族
あおが産まれた頃あんなに仲の良かった家族が、すっかり変わってしまいました。
あおの言葉が出ない事による不安、焦り。
突然起こるあおのパニックによる疲労、焦燥感。
周りからの興味本位や白い目で見られることによるイライラ、悲しみ。
他のフツーの子やその親に対する嫉妬、妬み。
そんなものに妻も私も蝕まれていきました。
些細なことから何度夫婦喧嘩をしたでしょう。
離婚の危機もありました。
この時はまだ私があおの障害を受け止めきれていなかったのだと思います。
実は私にもあった障害
ここから私にとって、そして家族にとって転機が訪れるのですが、そのきっかけになったことについて話すために、ちょっと話を逸らします。子どもの発達障害とは直接関係がありませんが、私には小さな頃から吃音(どもり)という障害がありました。
簡単に言うと「吃音」とは「突然、特定の言葉が発しにくくなる症状」です。
それを聞いてもピンと来ない方は、ウィキペディアで「吃音症」を調べてみてください。
どんなものかと言うと、あまりの辛さに自殺してしまう吃音者が毎年後を絶たない、そのくらい“とても辛く苦しい症状”なのです。
私も小さい頃から苦しんできて必死にその症状を隠して生きてきたのですが、ある日の会社の朝礼で大失敗をしてしまいました。
その日の夜インターネットで検索しまくって、一つの吃音改善の教材に辿り着きました。
藁をもつかむ気持ちでその教材を購入し、2ヶ月間その教材を学びました。
それは直接吃音にフォーカスしたものではなく、人間的に成長して吃音なんて大した問題じゃないと思わせる内容でした。
引き続きその教材の作成者が運営している通信講座を受講し、「次世代の人間関係構築法」や「強者のコミュニケーション術」を学び、それを職場や家庭で実践していきました。
我が家と我が子に起きた大きな変化
すると、我が家に大きな変化が起きました。
自分の感情をコントロールすることができるようになったため、子どものパニックにイライラすることがなくなりました。
そのため、子どものパニックにも冷静に対応できるようになりました。
他者をコントロールすることができるようになったため、妻の言動が変わりました。
そのため、夫婦喧嘩がなくなりました。
すると、子どもにも大きな変化が起きました。
あんなに頻繁に起きていたパニックが、激減したのです。
子どものパニックが減少すると、親のイライラも減少しました。
家族の雰囲気が悪くなることも減少しました。
そうして、親が笑って過ごせるようになると、あおも笑うことが多くなりました。
もっとあおがかわいくなりました。
毎日が楽しくなりました。
あおといろんなところへ行きました。
あおは「楽しかった」「また行きたい」と言ってくれるようになりました。
そんな風にして過ごす毎日の中で、「人生捨てたもんじゃない」と思えるようになりました。
「幸せか?」と聞かれれば、「幸せだ」と迷いなく言えます。
あおも幸せなのか、生まれてきてよかったと思っているかは分かりませんが、毎日楽しく過ごしているのは間違いじゃないと思います。
そうして、将来の自立も見えるようになってきました。
いま私が描いている夢
もう15年以上前、「田舎でのんびり家族と暮らす」という夢を叶えましたが、それは子どもの発達障害で消え去りました。
しかし、自分が成長する事によって得ることができた家族と笑って過ごすという毎日の中で、幸せを実感できるようになりました。
そして、今私には叶えたい夢があります。
それは、私と同じ発達障害の(かもしれない)子どもの親として、一緒に成長していける仲間を一人でも多く作ることです。
まず、そのためにあなたが親として成長して、幸せを実感できるようになってほしいと思います。
子どもが原因で何か引け目を感じていたりしませんか?
周りから同情されたり、見下されていると感じることはありませんか?
そんな奴らよりもっとずっと幸せになって、私達の笑い声を聞かせてやろうじゃありませんか。
それは、実現不可能な夢ではありません。
あなたが親として成長すれば、必ず訪れる未来です。
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ここまでお読みいただき、本当にありがとうございました。
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