発達障害児の育ち方|我が家の長女あおの障害を知るまで




「我が子が発達障害かもしれない」と思い、このページに辿り着いたお父さん、お母さんもいるのではないでしょうか?

このサイトは、発達障害児の親による発達障害児の親のためのサイトです。

発達障害児の親の先輩として、今まで経験してきたことを分かりやすく伝えていきます。

このページでは、我が家の長女「あお」の障害を知るまでのことを書きます。

発達障害児の育ち方の一例として、参考にしていただければと思います。

目次

1.あおの誕生

あおは、2005年5月予定よりも一ヶ月早く、2,063gで帝王切開にて生まれた。

小さかったけど、将来については心配していなかった。

2,000gも超えていたし、病院の先生も不安があるようなことを言わなかった。

「他の子供と比較せず、のんびり育ててあげてください。」

という言葉も何の違和感もなく、受け止めた。

それは、せいぜい1歳か2歳までのことだと思っていた。

それを言われたことを当時の会社の先輩に話したところ、

「大丈夫なの~!?」

と言われ、カチンとなり

「一ヶ月早く生まれたんですよ!それを同じころに生まれた子と比べたらかわいそうでしょう!」

とむきになって言ったことを覚えている。

そういえば、その頃こんなことがあった。

当時行っていた床屋に行き、転職すること、引っ越しすること、子供が未熟児で生まれたことを話した。

転職・引っ越しのことを「よかったね」と言われ、子供のことも「大丈夫だよ」と言われた。

その人の知り合いにも未熟児で生まれた子がいるそうだ。

だけど最後に気になることを言われた。

「やっぱりちょっとアンバランスだよね。体は大きくなったのに、まだ話せなくて。」

「どういうことだろう?」と思ったが、何て聞いていいか分からなかった。

そして、わざと気にしないようにして、その言葉をそのまましまいこんだ。

2.言葉が遅い?

何の心配もしていなかった。

首のすわり、寝返り、はいはい、つかまり立ち、あんよ、少し標準よりも遅かったのだろうか。

でもそれも「一ヶ月早く生まれたのだから」と思っていた。

あやせばよく笑うし、目つきもおかしくない。

障害の心配なんてしていなかった。

妻経由で義母が「気にするほどではないけど、言葉が遅いね」と言ったことを聞いた。

あおが1歳を過ぎた頃だったろう。

それを聞いても何の心配もしなかった。

1歳4ヶ月頃だったろうか。

「マンマー」というようなことを言うようになった。

ボールのことを「ボ」と言うようになった。

犬を見て、すごく小さな声で「ワウワウ」と言うようになった。

他にもバナナを「バ」、パンを「パ」、アンパンマンを「アンマン」と言ったような気がした。

「アンマン」と言ったときには、妻と大喜びしてあおを褒めた。

これからどんどんしゃべるようになるだろうと思った。

実家への年賀状にもそう書いた。

でも言葉は増えなかった。

そしてあんなに言っていた「ボ」も言わなくなった。

※いま思うこと
「よく笑う」と書いたが、当時のビデオも見ると笑顔が圧倒的に少ない。
反応も薄くて、親の「あお~」という声がよく入っている……。
2人目の子供だったら、もう少し気づくのが早かったのかなと思う。

「しまじろうだいすき」
しまじろうの真似してDVD見たいのをアピールしたっけな……

 

3.あおは自閉症?

それでも俺は心配していなかった。

引っ越して保健センターに行ったとき、そこの人があおをちらっと見て「心配なことはないですよね?」と聞いたが、俺は「はい」と答えた。

もしかすると、妻はもう不安だったのかもしれない。

そういえば、1歳半検診の頃から「言葉が少ない」と言っていたような。

その頃の俺の考えは、「目つきもおかしくないし、知的障害があるようには見えない。それであれば、ずっとしゃべれないなんてありえない。」というものだった。

知的障害以外でしゃべれない、なんてことがあるとは思ってもいなかったのだ。

2歳を過ぎても言葉はなかった。

2歳検診は様子見だったようだが、その頃から妻がしきりに不安を口にするようになった。

俺はネットでかじった中途半端な知識で、問題ないと言っていた。

本当に問題ないと思っていたのだ。

「子供にはすぐ話すようになるタイプと、言葉をためこむタイプがいる」

「2歳~2歳半は言葉の爆発期」

そんなことを言って、「あおは言葉をためこむタイプで、2歳半までにはせきを切ったように話し始める」そう信じていた。

そんなことを話したある日、妻が「でも自閉症だったら……」とつぶやいた。

自閉症?引きこもり?どういうこと?

俺はよく分からなかったが、何も言わなかった。

そして、「自閉症」という言葉だけが頭に残った。

※いま思うこと
やたらと「心配していなかった」「問題ないと思っていた」「信じていた」という言葉がでてくるが、本当のところは不安だったのだと思う。
だから問題ない証拠を探すのに必死になって、それらしいことを見つけるとそれにすがりつくように、自分を納得させていた。
「もっと冷静になれていたら」と今は思うが、「自分の子供がしゃべれない」という現実を受け止めるのは、難しいよね……。

「どうぶつだいすき」
どんな動物も怖がらないので、動物好きなんだなぁとおもっていたが、よく分かってなかったんだろうね……。
その後怖がるようになりました。

4.専門家からの宣告

次の日、ネットで「自閉症」を調べた。

そこで初めて、「自閉症」とは発達障害であることを知った。

そこで見たものは、衝撃的だった。

大人になっても片言しか話せない人、子供の頃うんちを壁に塗りたくった人。

いろいろ調べるうちに、自閉症の特徴的な行動の一つが目に留まった。

自分の要求を大人に伝えるとき、その大人の手をとって目的のものへ運ぶという「クレーン現象」をあおもやっていたのだ……。

そのときのことを俺は忘れない。

あの頭をガツンと殴られた感じ。

頭の中が真っ白になった感じ。

背中を冷や汗がつたう感じ。

福本伸行の漫画である、「ぐにゃあ~」って感じ。

俺はぐらぐらしながらも、あおが自閉症でない証拠を必死に探そうとした。

そして、「指さしがないこと」も自閉症の特徴の一つという文章を見つけ、それをあおが自閉症でない理由とした。

妻にもそう話した。

他にも「目が合わない」「共感しない」ということも、あおには当てはまらないと思った。

それから何ヶ月かして、妻が市の療育相談を予約して受けた。

そして、「発達が非常に独特ということを言われた」とメールしてきた。

俺はそれが頭から離れなくなり、会社を早退した。

ショックを受けたというわけでもなく、妻をフォローしようとしたわけでもなく、仕事が全く手に付かなくなったからだ。

発達障害児の育ち方|The Day -あおが喋った日-








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