「我が子が発達障害かもしれない」と思い、このページに辿り着いたお父さん、お母さんもいるのではないでしょうか?
このサイトは、発達障害児の親による発達障害児の親のためのサイトです。
発達障害児の親の先輩として、今まで経験してきたことを分かりやすく伝えていきます。
このページでは、我が家の長女「あお」の発語があったときのことを書きます。
発達障害児の育ち方の一例として、参考にしていただければと思います。
1.言葉が出ない・・・
「あおの障害を知るまで」の後のことを書く。
あおの言葉は全くなかった。
「2歳半までにはしゃべり始める」と思っていた(願っていた)ことは、現実にはならなかった。
「言葉の爆発期」と言われる時期は、とうに過ぎてしまった。
嫁は、「全然爆発してない……」とつぶやいた。
いま思うと既に問題は発生しているのに、当時はまだ「言葉さえ出れば他の子と同じ」と思っていた。
言葉の遅れに関する本を何冊も買ってきて、読んだりした。
ネットで検索し、アインシュタインは5歳までしゃべらなかったとか、俳優の○○さんも4歳だか5歳までしゃべらなかったというのを見つけて、あおも遅いだけだと自分を納得させていた。
「朝になれば普通にしゃべるようになっていますように」と願いながら寝たことが何度あっただろう?
突然全てが変わる日を夢見ていたが、当然そんな日は来なかった。
それでも、沈んで毎日過ごしていたわけではない。
とにかくいろんな所へあおを連れて行って(近場ばっかりだけど)遊んでいた。
それは、あおにいろんなものに見て触れて、刺激を感じてほしかったのだと思う。
その頃あおは、ジェスチャーを使って親に要求を伝えるようになった。
「食べたい」
「飲みたい」
「まぜて」
親にしか分からないジェスチャー、嫁と俺はそれを「あお語」と呼んでいた。
3歳を過ぎても現状は変わらず、会う人にも説明が必要になった。
他の子と違うことは明らかだった。
そして、その日はやってきた。
2.The Day
そして、その日はやってきた。
3歳3ヶ月を過ぎた頃だったと思う。
俺はあおと二人で遊んでいた。
嫁は掃除か何かをしていた。
あおが、あいうえおのパスルの「あ」のピースを取って、俺に「あ・ひ・る」と言ったのだ。
ほとんどささやき声で、「は・ひ・ふ」という感じだった。
俺はすぐに大声で嫁を呼んで、あおに「あおちゃん、これ何?」といって、アヒルの絵が描いてある「あ」のピースを見せた。
あおは、笑顔を嫁に向けて、「は・ひ・ふ」と言った。
嫁は「あおちゃ~ん」と叫び、満面の笑みであおに抱きついた。
あおは恥ずかしそうな、でも少し得意そうな顔で笑っていた。
あおは自分がしゃべれないことで、両親が苦しんでいることを分かっていたのだと思う。
さあ、これからどんどんしゃべるのかなと思った。
でも、それはそんなに簡単なことではなかった。
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