あおとの思い出|雨の中漏らしたあおを背負って歩いた日




あかが生まれたとき、遠方に住む両親と俺の姉、姪っ子がきてくれた。

近くのホテルに一泊することになり、夕食まで俺とあおも一緒に遊ぶことにした。

当時のあおは幼稚園の年少、しゃべるようになったが、発音は不明瞭でしゃべる内容も単語やどこかで聞いたセリフのようなものが多かった。

まだまだ言いたいことを言葉で表現できるようにはなっていなかったと思う。

ホテルの部屋からバスで移動して遊び始めたが、いつからかあおが俺の抱っこから降りなくなった。

降ろそうとすると、泣いて大声を出して抵抗するようになった。

だが、俺もみんなとクレー射撃をすることになり、あおを降ろさざるを得なくなった。

あおは大声で泣いていて俺は射撃どころではなかったが、遠方まで来てくれた両親の手前プレイした。

姪っ子にも負けたことは、あおが気になっていたからと言い訳しておこう(笑)。

さて、次のアーチェリーの受付をする頃にはあおのパニックがひどくなり、とてもプレイどころではなかった。

さすがに俺はプレイしないことを両親に伝えた直後に、あおは俺に抱っこされたままうんちをした。

「これが言いたかったのか」「何で気づいてやれなかったのか」と思っても、時すでに遅し。

俺は泣き叫ぶあおをトイレに連れて行き、パンツの中のうんちを流した。

少しでも洗おうとあおを便座に座らせウォシュレットのボタンを押したが、あおはさらに激しく声をあげて泣いた。

もう家に帰るしか俺に考えはなかった。

家に帰り、帝王切開であかを生んだばかりの嫁に頼るしかなかった。

姉が戻って車を持ってくるといったが、断った。

バスに乗って戻るという方法もあったが、やらなかった。

俺は雨の中泣き叫ぶあおをおんぶして、傘をかぶったまま数キロ歩いた。

一人にというか、俺とあおだけになりたかった。

誰にもこんなあおを見られたくなかった。

歩いているとき、俺はどこにもぶつけようのない想いを、あおにぶつけてしまった。

「降りて歩いてくれない!?パパ大変なんだよ!分かる?あおちゃんには分かんないだろうなー!!」と。

……、ひどいことを言ったもんだ。

そのときはあおに伝わるのか分からなかったけど、今ではあおは分かっていたと確信できる。

途中疲れてあおを降ろすと、あおは立ったまま股を開いて大声で泣いた。

その姿を見て泣きそうになった。

やっと車につき、家に帰った。

俺はソファーに倒れこんだ。

後は嫁にまかすしかなかった。

俺は泣いた。

あおがかわいそうだったからでもなく、産後まもない嫁にうんちの始末をさせたからでもなく、あおにひどいことを言ってしまったことに対して。

うんちの始末の後、あおはもうケロッとしていた。

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